目黒べにすずめのこと

 

 最初の「おむすび屋べにすずめ」は今から約15年前、東京都目黒区八雲にありました。お惣菜のレシピや羽釜でご飯を炊くスタイルなど、今のべにすずめの骨格となる部分は目黒の店からそのまま引き継がれています。この店の営業はわずか6年ほどでしたが、忘れられない人や出来事が多くありました。例えば、ほぼ毎日、開店直後にいらしておむすびを2つ買っていかれる、近所にお勤めらしい気さくな女性のお客様。ある台風の日、迷った末に店を開けることに決め、いつものように準備をして、強い風と雨の中でシャッターを上げた直後、その方が「やってるんだー」と笑いながらレインコート姿で店に入ってこられました。思わず「来るんだー」と答えると、「ほんと。やるほうもやるほうなら、来るほうも来るほうだよね」と言うので二人でまた笑いました。今でも、空が暗く雨の強いの日に営業していると、その方と笑ったことを思い出します。また、近所の建材店の社長さんも、この方は店舗の大家さんでもあったのですが、ほぼ毎日店に顔を出してくれました。小柄で、気持ちが優しく、でも大変な照れ屋で、それを隠すためか口調はひどくぶっきらぼうな方でした。「どうだ、楽しくやってるか?」と言いながら入って来て、私が「はい、楽しくやってますよ」と答えると、「そうか、そりゃあ何よりだ。やってる奴が楽しくないとよ…客はそういうの、すぐ分かっちまうから」と言って「じゃあ頑張れよ。家賃入れてもらわないと困っからよ」とか言って帰っていかれる。その社長さんは今はおられないし、当時のお客様ももうお会いすることもありませんが、かけて頂いた言葉や笑顔は、私の中に今もしっかり存在しています。

 

 イラストレータで漫画家の故フジモトマサルさんは、「20歳の時に描いた絵は20年かかって描いたものだし、80歳で描いた絵は80年かかって描いたものです」と言われています。これに倣えば、30歳の時に開いた目黒べにすずめは30年かかってできた店だし、今の仙台べにすずめは50年かかってできた店です。以前の店と今の店とでもっとも違う点といえば、以前は完全なワンオペだったのに対して、今は一緒に営業してくれるスタッフがいることです。当時は、大変でも一人の方が気楽で断然良いと思っていましたが、今はスタッフのショーコちゃん・ヒラメちゃんがいないべにすずめは考えられません。50年かかってようやく、人と一緒に仕事ができるようになったのかなと思います。